沖縄探索日記
沖縄探索日記



沖縄ー琉球の歴史


第二次世界大戦終了後、沖縄県は奄美諸島とともにアメリカ軍による支配のもと日本から切り離され、紆余曲折を経て、1952年に琉球政府が発足しました。


国際法上琉球人(Ryukyuan)として、日本人ともアメリカ人からも区別され、パスポートも琉球政府発行のものが交付されていました。


奄美出身者は、始め琉球人とされたが、1953年に奄美諸島は日本に復帰し、沖縄に出稼ぎにきていた奄美出身者は「日本人」に戻りました。


沖縄で仕事を続けるためには居住許可が必要となり、公職追放(当時の琉球銀行総裁、等)などで政治的権利は剥奪されてしまいます。


さらには土地所有権が認められないなど、沖縄に住む奄美出身者は様々な制限を受けることになり、これは沖縄の日本復帰まで続いていました。


そして1972年5月15日、沖縄が本土復帰し沖縄県が復活します。


その結果、沖縄出身者は日本国民としての地位が復活し、日本人に戻る事ができたのです。


沖縄ー琉球の歴史


沖縄は12世紀に農耕社会が始まり、グスク文化、三山時代をへて15世紀には琉球王国が成立
します。


その地の利を生かして琉球王国は明への朝貢、東南アジア・東アジア・スペインとの交易でおおいに栄えました。


しかし1609年に、薩摩藩に侵攻され琉球王国は薩摩の属国となっってしまいます。


琉球王国は、薩摩藩への貢納を義務付けられ、江戸上りで江戸幕府に使節を派遣する事を義務付けられます。


その後も明を滅ぼした清にも朝貢を続け、王国廃止まで薩摩藩と清の両属という体制となりながらも、独自の国と文化を維持します。


また、琉球が支配していた奄美諸島は、割譲され薩摩藩直轄地となりました。


そして1872年に、琉球王国は琉球藩(琉球処分)になり、1879年琉球藩が廃止され鹿児島県へ編入、同年中に沖縄県が分離成立します。


その後、様々な施策が行われたが、相変らず経済基盤が脆弱であったため、日本本土・ハワイ・中南米へ移住・移民する者が多く、その傾向は戦後も続いていました。


沖縄ー琉球人説


琉球民族論


琉球王国統一以前は、各島嶼が独立した勢力でありました。


しかし琉球民族論を主張するものは歴史的に琉球は別の王国であったため、大和の朝廷とは別の民族であったと主張しています。


それはどういう意味方言うと結果的に、日本統一後の最大版図を民族領域としていると言う事に過ぎません。


逆に、琉球は歴史的にも日本民族であると唱える側は、大和地方にあった日本の朝廷が拡大していく過程で、沖縄は取り込まれるのが単に最後であったに過ぎず、他の日本の地方と同格であると主張されています。


沖縄ー琉球の文化


琉球は地理的に東南アジア、中国南方、九州の交易における中間点に属しています。そのため生活慣習や伝統は実に独特です。


さらには琉球王朝として独立した王国であったため、一般的な地方文化とは異なり、庶民の文化から宮廷の伝統までが揃っているんですね。


しかしながら沖縄諸島と八重山諸島・宮古諸島・与那国島、そして奄美諸島では島が離れているため、伝統が多少異っています。

沖縄ー琉球人説

政治的な人種論に対する批判として指摘されることは、日本列島の住民は複数の人種の混血であり、その混血度は地域によって異なりますよね。


しかし、全般的に見て日本列島の住民は語族が同一であるだけでなく遺伝的にも近縁なもの同士であるとも言えるのです。


そしてさらに朝鮮半島や中国大陸の住民とも近縁同士ということにもなります。


琉球民族と大和民族が遺伝的に違うと主張すれば、琉球人と似た風貌や特徴を持つ九州南部の住民をどう定義するのかという問題が起こります。


境界の線引きを曖昧にして琉球人は人種的に大和民族であると主張すれば、遺伝的に同じように近い朝鮮半島や中国大陸の住民と本土の住民を区分するかどうかと言う問題になってしまいます。