沖縄ー琉球国侵攻
チュゥウガナビラ ♪ (訳:こんにちは)
GIMAです。
今日は16世紀頃からのお話です。
1609年3月4日、樺山久高ら島津軍団3,000名余りを乗せた軍船100隻が琉球を目指して薩摩の山川港を出帆します。
その頃琉球国は第二尚氏第7代尚寧王の時代です。
そして3月26日、ついに沖縄本島北部の運天港に上陸、今帰仁城を落として首里城へ迫りました。
迫り来る島津軍に対して親方達は兵士を率いて尚寧王を守るべく反撃に転じますが鉄砲隊を主軸とした薩摩に対し、まったく歯が立ちません。
長らく平和だった琉球は、大貿易時代の終結によって国力が低下していた上、15世紀に尚真王によって武器を没収されていた為に、戦国を生き残った島津軍の敵ではなくあっという間に制圧されてしまいます。
次々と戦死していく家臣達を見かね、ついに尚寧王は薩摩に和睦を申し入れ首里城から下城しました。島津軍は4月5日に首里城を接収し、4月半ばには意気揚々と薩摩に凱旋帰国しました。
一説によると武器を持たない多くの琉球軍はふもとから攻めてくる島津軍に対し、銃弾の変わりに畑の肥料となる人糞をかけていたそうです。
島津軍が首里城を落とすのに一ヶ月もかからなかったのも頷けますね。
今日は以上です。

