沖縄探索日記
沖縄探索日記



沖縄ー首里城

チュゥウガナビラ ♪ (訳:こんにちは)



GIMAです。



さあ、今日は首里城の歴史パート2です。



沖縄戦後、首里城跡に琉球政府立琉球大学が置かれたことで多くの遺構が撤去あるいは埋められてしまいましたが、首里城の再建は戦後間もなくから多くの沖縄県民の悲願でした。



1958年に守礼門が再建され、1979年に琉球大学が移転すると1980年代に県および国による首里城再建計画が策定され、本格的な復元が始まります。



1989年、遺構の発掘調査や昭和初期の正殿改修図面・写真資料、古老の記憶などを元に正殿他の再建が始まり、1992年には正殿を中心とする建築物群、そこへ至る門の数々と城郭が再建され首里城公園が開園しました。



私、GIMAもその開園式には参加しましたので( と言っても観てるだけ
)今でもよく憶えていますよ。



現在は、首里城を中心とした一帯が首里城公園として公開されていて、周囲の城郭やその他の建築物群の再建事業も殆ど完成しています。



2000年には、首里城跡(しゅりじょうあと)として他のグスクなどとともに「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の名称で世界遺産に登録されました。



今では世界中の観光客が沖縄に来た際には、必ずと言っていいほど首里城に訪れてくれるのが嬉しいですね。




チュゥウガナビラ ♪ 



GIMAです。



昨日に引き続き今日は首里城の歴史についてお話しますね。



実は、首里城の創建年代は明らかではないんです。



近年の発掘調査から最古の遺構は14世紀末のものと推定されていて、三山時代には中山の城として用いられていたことが確認されています。



おそらく、13世紀末から14世紀のグスク造営記に他の沖縄の多くの城同様に成立したものと考えられます。



尚巴志が三山を統一し琉球王朝を立てると、首里城を王家の居城として用いるようになりました。同時に首里は首府として栄え、第二尚氏においても変えられることはありませんでした。



史書で記録されている限りでも、首里城は数度にわたり焼失しており、そのたびに再建されてきました。



明治以後は軍営や学校などに使用されたんですが、老朽化が激しく崩壊寸前の状態になり、取り壊し寸前でした。



しかし、伊東忠太、鎌倉芳太郎ら関係者の奔走により保存が決定されてからは、昭和初期(1928年??1933年)に正殿の改修工事が行われて国宝に指定され、県社沖縄神社の社殿となり源為朝と歴代国王が祀られました。



そして、太平洋戦争中の沖縄戦においても、日本軍が首里城の地下に総司令部を置いたこともあり、1945年5月25日から3日間に渡りアメリカ軍艦ミシシッピなどから砲撃を受け、27日に焼失したとされています。



さらに日米両軍の激しい戦闘で、首里城やその城下の町並み、琉球王国の宝物・文書を含む多くの文化財が破壊されてしまいました。



ここまでが戦前、戦中のお話です。



明日は戦後のお話をしたいと思ってます。




チュゥウガナビラ ♪ 



GIMAです。



今日は沖縄へ来たら誰でも必ず行くと言う首里城のお話しです。



首里城とは琉球王朝の王城で、沖縄県内最大規模の城(グスク)でした。戦前は正殿などが国宝だったんですが、1945年の沖縄戦と戦後の琉球大学建設により完璧に破壊され、わずかに城壁や建物の基礎などの一部が残っている状態でした。



1980年代前半の琉球大学の西原町への移転にともない、首里城の本格的な復元は1980年代末から行われ、1992年に、正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元されました。



また、1993年に放送されたNHK大河ドラマ「琉球の風」の舞台にもなり、2000年12月、『琉球王国のグスク及び関連遺産群』として世界遺産に登録されます。



しかし、登録は「首里城跡(しゅりじょうあと)」であり、復元された建物や城壁は世界遺産ではなかったんです。



更に、周辺には同じく世界遺産に登録された玉陵、園比屋武御嶽石門のほか、円覚寺(えんかくじ)跡、国学孔子廟跡、龍潭、弁財天堂(べざいてんどう)などの文化財があるのでまでご覧になっていない方は是非訪れてみて下さいね。