沖縄探索日記
沖縄探索日記



沖縄ー国際通り

チュゥウガナビラ ♪ 



GIMAです。



今日は昨日の続きですね。



題して国際通りの歴史2です。



さて、終戦後何にもなくなってしまった土地に家を建て村を作り多くの人々が集まるとモノの売買が始まりますね。



商売の始まりです。



那覇市の後押しもあり、多くの人達が力を合わせて国際通りを作り上げました。



最初は何にもなかったんですが、人の集まる場所には活気が生まれます。



そして、忘れてならないのが沖縄のおばぁの存在ですね。



どんな苦境でも明るく、力強い沖縄のおばぁ達は毎日毎日元気にモノを売り続けました。



そして時代は下り、現在の国際通りとなってきたのです。



沖縄の人々は、そんなゼロからのスタートでここまで復興してきた全長約1,5キロの国際通りの事を



奇跡の1マイルと呼んでいます。



とても現在の国際通りからは想像もつきませんが国際通りにはそういう歴史があったんですね。






チュゥウガナビラ ♪ (訳:こんにちは)



GIMAです。



今日のテーマは皆さんご存知の沖縄は那覇市にあるメインストリート、国際通りです。



国際通りは戦前、琉球国の中心地である首里と高い技術力を持っていた支那人の子孫と言われる人々の村、久米村とをつなぐ重要な道でした。



その道を琉球国の人々は毎日往来し文化を高めていったのです。



しかし60余年前の沖縄戦で首里城をはじめ、那覇の殆どの土地は焼け野原となってしまったのです。



土地や財産、すべてを失った人々は最初の頃は只ただ呆然としていましたが希望だけは失っていませんでした。



やがて、あちらこちらでポツリポツリと家が建ち始め、そのうちに多くの人々が手に手を取り合い、協力し合って村づくりを始めました。



人が集まると商いが始まります。商いが行われるとそこに村が出来ます。



現在の大道、安里、牧志、松尾、開南、見栄橋、久茂地と呼ばれる地域に住んでいた人達が力を合わせて自分達の村をつなぐ道路造りに着手しました。



道が出来てゆくにつれてその道沿いには沢山の日よけテントが並びました。



その日よけテントの陰には大勢の人々が涼を求めて集まりました。



沖縄の真夏の日差しはハンパじゃありません。物凄く暑いです。



そしてそのテントの日陰では商品の売買、商売が始まったのです。



最初は自分の畑などで取れた作物などの食物がメインでしたが、時代が下り世の中が豊かになってゆく中で服飾や嗜好品なども増えていったのです。



   つづく →→→






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チュゥウガナビラ ♪ (訳:こんにちは)



GIMAです。



那覇市のメインストリート国際通りの一本裏手には若者で賑わう通りがあります。



通称パラダイス通りといいます。



しかし、その名は正式名称ではありません。



正式名称は「牧志・前島線」といいますが誰もその呼び方をしません。



と言うより、誰もその名を知らないかも?



パラダイス通りの由来は終戦直後にさかのぼります。



戦争が終わって地主がいなくなってしまったこの辺りには、沢山の人々が勝手に住みついていたんです。



そこで那覇市が区画整理を行い、ひとり30坪づつ土地を割り当てました。



伊藝教永さん・米子さんご夫妻のお兄さんがそこにレストランを開店させました。



その名がニューパラダイスだったのです。



その名前が現代にも受け継がれていると言う事なんですね。



詳しくはコチラ